カクラサマ【遠野物語】

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栃内(とちない)村の字琴畑(ことばた)は深山の沢にあって、その集落には家の数は5軒ほどですかな。
小烏瀬(こがらせ)川の支流の水上でございます。ここから栃内の民家のあるところまでは2里ほど離れておるんですな。

この琴畑には、村の入口に塚があって、その塚の上には木の坐像がある。この坐像はちょうど人くらいの大きさで、以前は堂の中にあったが、今は雨ざらしでございます。これをカクラサマという。
村の子供がこれをおもちゃにし、堂から引っ張り出して川へ投げ入れたり、路上を引きずったりなどするために、今ではすっかり、鼻も口も見えなくなってしまった。
これを見た大人などが、子供を叱り戒めてやめさせようとすると、かえって祟りを受け、病むことがあるそうですよ。

注釈

神体・仏像は子供らと遊ぶ事が好きで、これをやめさせようとすると怒るという話は、他にも例が多い。遠江小笠郡大池村東光寺の薬師仏(掛川志)、駿河安倍郡豊田村曲金の軍陣坊社の神(新風土記)、信濃筑摩郡射手の弥陀堂の木仏(信濃奇勝録)などがその例である。

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カクラサマの木像は遠野郷にはたくさんあるそうな。栃内の字西内(にしない)や山口分の大洞(おおほら)というところにもあったことを記憶する者がいらっしゃる。
しかしね、カクラサマを信仰する者はいないんですな。実に粗末な彫刻で、着ている服や頭の飾りの様子も良くわからない。

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栃内のカクラサマは右の大小二つでございます。土淵一村では3つか4つ。どのカクラサマも木の半身像で、鉈でもって削り出した無格好なものである。
されど、人の顔であるということだけはわかるんです。
カクラサマというのは、以前は、神々が旅をして、休憩した場所の名であったそうですが、その地に常に居る神を、いつからか、こう呼ぶこととなったんですな。

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