【廃村】追原集落(千葉県君津市黄和田畑)

冒険日: 2019/6/6
天候: 晴れ
総歩行距離: 7728m
所要時間: 192分(撮影・休憩時間含む)

はじめに

前回、君津市黄和田畑にある湯ヶ滝集落を訪れた際、近くに存在する追原(おっぱら)集落も一緒に探査したかったが時間的都合で叶わなかった。
この度ようやく再訪できる機会が出来たので探査に赴いた。

追原(おっぱら)集落は元々は江戸時代中期くらいから集落を形成し、1967年にはすべての住民が小櫃川を挟んで東側にある札郷集落へと移転し、棄てられた村となった。

過去にはダム建設の話も持ち上がったが、追原の自然を愛する人々の活動により、水没を免れた。
少し前までは、道路沿いにある吊り橋を渡り、比較的容易にアクセス出来たが、現在では吊り橋の老朽化により、全面通行止めとなっている。

それでは早速、写真と共に行程を記していこう。(最初の方の写真と文章は湯ヶ滝集落探査時と変わらないので全く同じものを使用している。)

http://boukennosyo.wp.xdomain.jp/yugataki/

推奨装備

長袖・長ズボン・帽子・長靴(渡河用)・レスキューグローブ・バックパック・ヤマビルファイター (夏季)

記録写真

集落登山口までの道(小櫃川北上)

札郷(ふだごう)トンネル南側坑口。
こちらの脇道から小櫃川へ降りることが出来る。
小櫃川へと下る階段。
追原集落への入り口を目指すため、小櫃川沿いに北へと進む。
今回はトレッキングシューズで来てしまったため、濡れるのを気にせずどんどん渡河していく。渡河時になるべく濡れないようにと石の上を歩くとかなり滑りやすいので気をつけよう。
この日、私も実際滑って左腕をしたたかに打った。
小櫃川は相変わらず美しい。
一部道路が見える箇所もある。
川沿いの径には立派なあ”おだいしょう”が。
道路から追原集落へと続く吊り橋が見えてきた。かつてはこの吊り橋を利用して、比較的簡単に追原集落へとアクセスできたのだ。
吊り橋を下から観察してみる。向こうには道路のガードレールが垣間見える。
比較的取り付きやすそうな個所を見つけて斜面を登る。
通行止めの吊り橋を追原側から見た様子。

集落への登山口~集落までの道

草は生えているが歩きやすい径となっている。
まずは南西に進み、 登り口を探す。
少し進むと東大演習林の看板があった。
これは非常にわかりづらく、どちらの径が立ち入り禁止なのか定かではない。
写真の右側の径に登っていくと追原集落へとたどり着く。
探査したい方は問い合わせ番号に事前に電話しておこう。
非常に登りやすい径が続く。
ある程度まで登ると、見渡す限りに杉林が広がっている。
こちらでは、どこを見ても同じような景色なので迷わないように注意が必要だ。
地図を見ながら北西へと進む。

廃作業小屋

杉の良い香りを胸いっぱいに吸い込みながら進んでいくと、半ば崩壊した作業小屋が現れた。
内側から梁を支える支柱をたてて天井の崩落を防いでいるようだが、 崩壊の時は近そうだ。
用途不明の機器。
竹が大量に保管されていた。この近くで竹炭でも作っていたのかもしれない。
タイヤの使い方がお洒落。
このような小屋ひとつでもじっくり見ていると楽しいものだが、時間に限りがあるので先に進むとしよう。
写真奥へと進んでいく。
杉林の中に落ちていたファンタの1リットル瓶。いつの時代のものか分からないが、書体を見ると年代を感じさせる。
しばらく進むと、杉林が終わった。
板と枝で橋が架けられている。乗るとぶよぶよしていて心もとない。
おそらくは同好の諸士が設置したものであろう。
よく見ると径沿いに隧道がある。
物資保管用だろうか。奥は深そうだが、狭くてゲジゲジがつくのが嫌なので今回は未探査とする。

忘れられた墓地

一面落葉の地面に俄かに墓地群が現れた。
全体が苔むして、中には倒れているものもある。
倒れたものを戻すのはお節介と思い、魂が安らかに眠られるよう祈願させて頂いた。
里の喧騒にいるより、案外山中の方が静かに眠れるのかもしれない。
これ以上何もないかと思って周囲を見渡したところ、苔むした石段と灯篭が目に入ってきた。
早速登ってみよう。
どうやら左右に灯篭が配置されていたようだが、向かって右のものはすでに上部が無くなっている。
石灯籠は固定されているわけではないので、調査するときは慎重に行動しなければならない。
石段の上まで登り、振り返って眼下の墓地を見下ろす。
石段を上った先にはこのような何かの基礎らしきものが残されている。
御堂のようなものが建っていたのだろうか。
通常ならばこの辺で他を探査するところだが、等高線図を確認すると山頂が近いようなので目指してみることにしよう。
上を目指す斜面は写真では判りづらいが、かなりの急勾配だ。
なおかつ、枯葉に覆われていて滑りやすい。
先ほどの急斜面を登りきったところに三角点のようなものを見つけた。
帰ってから調べてみるも、この辺りには三角点がないようだが・・・
詳しい情報をお持ちの方がいらっしゃったら、ぜひ状況提供をお願いしたい。
まだ少し上があったが、ここでトレッキングシューズのソールが限界を迎えて剥がれてしまうトラブルが発生した。
よってこれ以上の登山は危険とし、頂上を目指すのは断念した。
先ほどの墓地まで帰る下りの急斜面で、ソールが無いため踏ん張れずかなり疲弊してしまった。
墓地群まで戻り、谷を挟んだ向かい側へど移動する。

集落中心地(楓の木)

谷を越えて斜面を登ると、中央から豪快に倒れた大木が現れた。
倒木の近くには草生した井戸があった。
試しに近くにある石を放り込んでみるとしばらくして音がした。
相当深いようで落ちたら自力で上がることは不可能であろう。
動画を撮影したので以下を参考にして頂ければ幸いだ。

井戸の深さ

現在では紙パックで提供されている”森永マミー”。
在りし日はここに住んでいた子供が愛飲していたのだろうか。
このような現場に訪れると必ずと言っていい程散乱している酒瓶の数々。
そして満を持して現れたのが、追原集落の象徴ともいえる大楓の大樹だ。
打ち捨てられた村にあって、今なお隆々とした枝を天に向けて伸ばし、その先には美しい新緑の若葉をつけている。ずっと見ていると今にも動き出しそうな、すさまじい生命力を感じる。

追原の大楓ドローン撮影

ロープで囲われた穴(?)だろうか。
落ちたら大変なので安易に入る気にはなれない。
同様の形のものがいくつか点在していた。
用途は全くもって不明だが、この中で焚き火等したら便利そうである。
住宅のものであると思われる基礎部分。
樹木が成長してきてしまっているが、この集落で一番大きかったと思われる建物の基礎。
昔懐かしい弁当箱が、正体不明の鉄の道具の上に置いてあった。
上蓋に何かしらが描かれている。色合いからすると錦鯉だろうか。
またこの容器だ。
こちらもまた謎の装置。
大樹の近くで持参したクラッカーで軽い昼食を済ませ、写真の方向に進んでみる。
こちら側は石垣が積まれている。
私が来た方向は写真左側からだが、どうやら石垣の積まれ方を見るとここが正式な集落の入り口のようだ。 写真がぶれてしまって見えづらいのはご容赦頂きたい。
子供たちが帰ってくる時間が迫っているため、そろそろ撤退するとしよう。
小櫃川沿いに移動する時間がないので、少々不安があるが吊り橋を使わせてもらおう。
いつ底が抜けるかとひやひやしたが、何とか渡りきることが出来た。
帰りの道路沿いより吊り橋を見下ろす。
しっかりした安全な橋はもちろん素晴らしいものだが、やはり吊り橋の方が自然と調和する。
堂沢橋より小櫃川を見下ろす。
札郷隧道北側坑口に自生していたしいたけ(?)
長年愛用したトレッキングシューズ。左足のソールが剥がれてしまっている。
奥穂高山などをはじめ、さまざまな場所を共にしたが今回でお別れである。
以上で、廃村追原集落のレポートを終了とする。

おわりに

ウェブ上では追原の象徴である大楓を、”お化け楓”といったり”訪れたら呪われる”などと云われていたりするが、私の印象としては全くもって逆である。
その神々しさと生命力に満ちある触れた力強さに元気をもらうことができた。この楓が紅葉したらどうなるであろうか。またその時期には訪れてみたいものだ。