冒険日:2018/8/23
GPSデータがバグって海の方に飛んでいますが、お気になさらずにw
はじめに
昔から気になっていた、御宿町から勝浦市部原へ抜ける旧道に遂に行くことが出来た。
現国道128号は毎日車で幾度となく行き来しているが、その裏側にこんな面白い道が隠れていようとは思いもよらなんだ。
それでは早速、写真と共に行程を記していこう。
記録写真
部原の無料駐車場に車を置き、徒歩で128号旧道に向かう。上の写真を奥に進むと衛生処理場の敷地が、128号旧道に続く道を塞いでしまうため、一度引き返し、国道を御宿側に歩く。
この地点から進むと、処理場脇を通って旧道へ抜けることが出来る。
左手に登ると畑のようなものが見えた。右手が128号旧道に続く道のようだ。
ここまでは道が踏み慣らされているため、人の行き来が少しはあるようだ。
次第に道が険しくなってきた。
線路わきに少し開けた場所があった。
更に進むと見晴らしの良い場所に出た。向こう側に白く見えるのは線路の上を通る橋のようだ。学生時代は電車に乗ってこの区間を幾度となく行き来したが、こんなところに橋があったとは今日まで全く知らなかった。
線路上の橋の様子。草がぼうぼうで道かどうかもわからないような感じだが、確かに下には線路が敷かれている。
橋上より、勝浦方面。
橋上より、御宿方面トンネル。
橋の先に進もうと思うと、全力で茂っている草が邪魔をしてくる。しかし道はここしかないので、押し通ろう。
夏真っ盛りに来たのも悪いが、樹勢が強すぎる。ひたすら藪を掻き分けて進む。
道なき道の激藪を進んでいくと、わずかに何かが見えてきた。
次第に地面がぬかるんできた。
ついに隧道が姿を現した!
写真では伝わりにくいが、この隧道かなりの高さがある。近づいてみるとかなりの迫力だ。
中はこのように非常によい状態で残っている。
天井の様子。くぼみは在りし日の電球穴だろうか。
部原側入口は良い状態だったが、御宿側に廻り込むと、御宿側入り口はかなりの崩落具合だ。(写真を撮るのをすっかり忘れていた)
御宿側の入り口。
御宿側入り口付近にこのような遺物が打ち捨てられていた。花びんだろうか。「1954 11」との記載がある。
ここは御宿側入り口から御宿方面へ抜ける旧道。この辺りはもはや元国道というのが嘘のような荒れ具合である。
タンクのようなものがあった。なんなのかさっぱりわからない。
こちらも正体不明の建屋。林業従事者の休憩所跡だろうか。
この建屋から2~3分進むと、御宿町浜へと抜けることが出来る。
おわりに
今回の旧道の目玉は何といっても、あの大きな隧道だろう。崩落や滑落の危険があり整備等は難しいところだろうが、よいトレッキングコースになりえそうな行程であった。
原国道128号がなかった時代、夕方や夜にこの道を徒歩で通るのはとても恐ろしかったことだろう。妖怪のべとべとさんが確実に出現しそうな在りし日を想いながら当レポートを締めるとしよう。
追記
・御宿側の旧国道128号に入る辺りを、“やーぎやま”(岩ヶ山)と呼んだらしい。
・こちらの旧国道のある一帯を、“どうざか”と呼んだらしい。
・私のひいおばあさんが昔、御宿から魚を仕入れて”どうざか”を通って勝浦へ運んでいたようだ。人気がなくて寂しいところと良く言っていたそうだ。(母証言)
・御宿に医者がなかったころ、腸捻転の患者をリヤカーに乗せて”どうざか”を通って勝浦へ移送中に、リヤカーの振動で腸捻転が治ったという逸話がある。(70代地元住民の祖母証言)
コメント
素晴らしいレポートを見させていただき、ありがとうございます。今では道なき道となってしまった古道を探検されまして、現在の様子をわかりやすく記録されましたことに感謝いたします。機会をつくってわたしも歩いてみようと思います。
レポートの体裁については非常に参考になりました。併せて感謝いたします。
コメントありがとうございます。ぜひともご自身で歩き、そのレポートを私にも見せてください。楽しみにしております!
今回はお一人でしたか?
あの荒れっぷりだとチビちゃんたち、連れて行かなくて正解だったかもしれませんね。
べとべとさん…(笑)
ぜひ草刈機持参で開拓していただきたいものです。
旧国道なんてあるんですね。全く知らなかったです。
でも行くところ、だいたい危なそうので気をつけて行ってくださいね!!
追伸
私の実家の先の先のほうから小池方面に抜けられると聞いた事があります。
もちろん私は行った事がありませんし、道すらあるかも定かではありません。
ぜひ機会がありましたらチャレンジしてみてください!!
でもご無理はなさらずに。
さすがに今回は一人ですw
小池方面に抜ける道非常に興味深いです。小浦イン、長浜・ひょうたん堰経由の道ではなく山越えルートですか?
かなり気になるので、お母さんや詳しい人に聞いてみて下さい。
懐かしいです。昭和33年ころには既に旧道になっていたと思います。子供の頃は友人と部原まで何度も歩いたことがあります。昭和50年代までは普通に通れたと思います。廃屋のように見えるのは他の地域から来た方の住居、別荘?、ではっきりとした年代は不明ですが、昭和50年以降のものです。
堂坂は、今は取り壊されてしまいましたが、サンドライブインのあった辺りで、崖の途中にお堂があります。子供の頃は崖を降りて海水浴に行きました。
お返事が大変遅くなってしまい申し訳ございません。
また貴重な情報ありがとうございます。
廃屋は比較的新しいのですね。
当時はどのような雰囲気の道でしたか?
やっぱり夕暮れ時になると子供にとってはかなり怖い雰囲気の道でしたでしょうか?
サンドライブインの辺りのお堂は未だにたまに訪れることがあります。
下へ降りる階段が老朽化していつ取り壊されるかと憂いておりますが…
久しぶりに覗いて見ましたら返信があり、有難うございました。現在の住宅があるところが舗装されたのが昭和47年前後かと思いますが、それまでは非舗装の道が続いているだけですからそれほど違和感はなかったかと思います。途中までは水田もありました。トンネルを部原側に出て途中からは当時の国鉄の線路まで降りたりしていました。
新国道ができる前、堂坂に行くには、御宿側で新旧国道が分離するところから旧国道を50メートルほど入った辺りから山越えをしていた様です。